情報をシャワーのように浴びるとき

キャリアデザイン

みなさん、こんにちは。Amyです。

昨日、インターネットと携帯電話のおかげで貿易の仕事が劇的に効率アップしたことをお話ししました。

私がこれらのイノベーションと出会ったのは20代の頃です。

遅すぎず、早すぎず、まさにベストなタイミングでした。

そしてこのことは、もしかしたら子供の頃からスマホを手にしていた今の若者よりも、幸せなことなのかもしれません。

☆ ネットがない頃の情報収集

☆ インターネット = 情報の洪水

☆ 膨大な情報と情報弱者

☆ アラフォー以上は、ほしい情報がわかっている?

☆ 情報のコントロール

☆ ネットがない頃の情報収集

インターネットがなかったころは、何かを調べるというのは一仕事でした。

わからない言葉については、

辞書を引くほか、電話帳より分厚い「現代社会の基礎知識」と呼ばれる用語解説本で調べていました。

それでもわからない場合や、論文を書く際は図書館でひたすら調べていました

学校の先生や知識人は情報を膨大に持っており、尊敬される機会も多かったです。

そして、ほしい答えに行き着くまでに様々な資料を目にして、その周辺の情報も拾いながら核心に到達するため、

複合的に理解を深めながら、目的の情報のたどり着くことが多かったです。

例えば、「資本主義」について調べる場合。

現代であれば、Wikipediaのページを読めばおおよそ理解できるかもしれません。

当時はネットもWikipediaもありませんので、まずは辞書でひきますね。

簡潔に説明してありますが、今一つ理解できません。

次に図書館で書籍をいくつか調べます。

そうすると、実際の資本主義国の具体例だったり、どのように発生した理念かが解説されていたり、

「共産主義」のような、対をなす理念についても知ることになります。

複数の著者がそれぞれ違う視点で書いている情報を読みながら、「資本主義」を理解していくことで、

「資本主義」という言葉の意味を知ると同時に、「資本主義」という理念に対しての自分の意見も生まれてくるという現象が多々ありました。

ダイレクトにピンポイントで知識を得るというのも素晴らしいですが、

時間をかけて調べることで、周辺知識も吸収しながらその知識に到達するというプロセスも、それなりに価値があったと思います。

また、出版された書籍、かつ図書館に置かれているという時点で、情報にある程度の信ぴょう性がありました。

時間がかかるし不便ではありましたが、

自分の意思を持って何かを調べるというプロセスを何度も経験している事は有意義でもありました。

☆ インターネット = 情報の洪水

現在は、ネット上では膨大な情報が飛び交っています。

ポータルサイトではパブリックなニュースや経済情報が分刻みで更新され、

SNSでは個人のコメントやプライベートな情報があふれています。

ツイッターなり、ヤフーなり、アプリを開いた瞬間にそんな情報が一斉に襲い掛かってきます。

自分で「〇△□」を調べよう、と思うヒマもなく、情報のシャワーを浴びている状態です。

「〇△□」を調べるつもりでも、途中でいろいろな別の情報に寄り道をしてしまって、

気が付いたら何を調べているのかわからなくなることもあります。

昔は調べものに時間がかかりました。

今は、調べ物の時間は短縮されましたが、ほかの情報にとらわれる時間が莫大に増えました。

☆ 膨大な情報と情報弱者

そして、これらの膨大な情報の中には、信ぴょう性のある有益なものだけはなく、

どうでもよい内容、虚偽・嘘も含まれています

その中から、価値のある情報を拾い出せる能力が重要になってきますし、

価値ある情報は、人を成功や幸福に導くと思います。

それができない場合、自分の生活・人生にかかわるような情報をつかめずに不運な状態に陥ることもあるかもしれません。

時々フェイクニュースが誤認・拡散されて大騒ぎになることもありますが、笑い話で済まないほどの実害を受ける人たちが出ていることは大きな問題でしょう。

情報によって取り返しのつかない傷をうけている人たちが多数います。

もう、情報は我々の力でコントロールできるような量ではなく、氾濫を起こしています

本来であれば、情報をどのように仕分けするか、見分けるかという教育が必要なのではないでしょうか。

ですが、現在の学校教育の現場ではケアしきれません。教師自体が時代のはざまにいるわけですし。

何らかの、情報リテラシーに関するガイドラインが早急に求められていると思います。

☆ アラフォー以上は、ほしい情報がわかっている?

40才前後より上の人は、前述のように学生時代に自分で図書館で情報を調べるという経験をしてきています。

そしてそのプロセスを土台にしてインターネットで情報を調べています。

私の考えでは、それはある程度、あふれる情報をコントロールするひとつに指針になっているとはずです。

そういう意味では、20代になってからネットの恩恵にあずかったことは、

もしかするととてもラッキーだったのかもしれない、と感じます。

☆ 情報のコントロール

今、私はある有名実業家のネットサロンに参加していますが、

彼は「情報をどんどんあびることに慣れよう」という考えです。

それを実践して、私は非常に考え方の幅が広がり、数か月前とは違う新しいことに複数チャレンジできています。

それは、膨大に情報を浴びた中から、ある基準をもって不要な情報を切り捨てているという意味でもあります。

同じサロンの中には、(本人にとって)不要な情報を切り捨てるという行為ができずに、すべての情報を抱え込もうとしている人が多数います。

正直なところ地に足がついていない様子が表出しており、

そのままいけばどこかでバーンアウトしてしまいそうだな、とちょっと心配でもあります。

自分の中に大量の情報を取り込んだうえで、

情報を取捨選択する。余計なものは捨てる、そぎ落とす

そういった基準や技術を持つことで、インターネット時代が与えてくれた情報社会を真に価値あるものにできると思います。

情報リテラシーの教育については、重要かつ壮大なテーマでもありますから、今後も時々ふれていきたいと思います。

弟妹達へ、情報を取捨選択する基準を、自分自身でつくりましょう。

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