昨日、高校生の頃から値段交渉をしていた話をしましたら、思いがけずたくさんの方が読んでくださいました。ありがとうございます。
特に読者になってくださった方、たいへんうれしいです!
ブログを始めてまだ1か月もたっていませんので、どういう文章が喜んでもらえるのか今一つ理解しておりませんが、ちょっと変わった経験談の方が皆さんに楽しんで頂けるのでしょうか。
という疑問を検証する意味で本日は私が中学生のころ初めて株を買った時の話をします。
☆ 時はバブル
☆ 戦後を生き抜いてきた商人
☆ 14歳、株を買う
☆ その後
☆ 時代は変わった
☆ 時はバブル
私が中学生の頃、つまり1980年代は日本はバブル景気に沸いていました。
平野ノラさんやブルゾンちえみさん(彼女の声いいですね~)など
今はお笑い芸人にネタにされる一つの特殊な時代ですが、
日本経済があまりに急激に成長したことと、根拠のない土地・不動産の値上がりから
まるで泡(バブル)のような、実態のない経済が日本を席巻していた不思議な数年間でした。
ま、よく考えてみたら実態は小さく、虚像は泡(バブル)のようにはじけてしまったわけですね。
当時はNTT株が公募されて大騒ぎになったり、とにかく
株と不動産は「バカ」でも「誰」でも儲ける事ができる状況でした。
このあたり、今度金融ネタで詳細書きたいと思いますが、とにかく景気がよかったのです。
たとえば、今みなさんが100万円を定期預金して、どれくらい利息がつきますか?
バブルのころ、郵便局に半年複利で100万円を預けると、10年後に元金と利息あわせて約200万円になったんですよ。
あの頃は6%-10%位の利息が実在しました。
もちろん住宅ローンも高率です。
それでも、不動産転売で儲かるような、異常な経済だったんです。
それに、株の配当だけで生活できる方々もかなりたくさんいたのですよ。
☆ 戦後を生き抜いてきた商人
で、私の母と、母方のファミリーはバブル前から株どっぷりの家系でした。
大正生まれの祖母は戦後の混乱期を極貧から這い上がり、
手広く商売をしては騙されたり倒産したり、めげずにまた起業したりと波乱万丈な人生を歩んできた人です。
女手一つで4人育ててますから、相当ですね。
当時幼かった母の記憶によれば、
景気のいい時には、4人の子供それぞれに専属の女中さんやお盆さんまでいたそうで、
極貧の時には風呂敷包み一つに株券や権利証だけつつんでお屋敷を出て(借金のカタにとられて追い出された)、5人で4畳半一間で過ごしたこともあるそうです。
そんな祖母は商売が苦しかった時に、何度か株に助けられたそうです。
株の読み筋がうまかったのでしょう。それで何度も救われたという話でした。もっと詳しく聞いておけばよかった、と少し後悔しております。
祖母はまさに戦後を生き抜いた商人で、死ぬまで商売をしておりました。そして株式投資も。
孫の私には聖母のようにやさしい祖母でしたが、母たちは皆、「あの人は龍神」と恐れていました。
☆ 14歳、株を買う
前置きが長くてすみません。
うちは両親共働きでしたので、学校から帰ってきた私は祖母の家で過ごしていました。
当時はインターネットはありませんから、祖母はいつも株式の値動きは午前中のザラバTV中継と、朝刊・夕刊で株価を確認していました。
思えば、私は幼児のころから無意識にザラバを毎日目にしていたんですね。
そして、祖母は高齢で目が悪かったので(数年後、祖母はほぼ文盲だったことを知りました。そのために契約書でだまされたこともあるのです)、
小学生のころから私が夕刊の株価を読み上げていました。
味の素 378円 前日比マイナス3 弱気
雪印乳業 157円 前日比プラス12 強気、決算●●
という風に、本日の終値(おわりね)を読み上げていきます。
夕刊が届いてしばらくたつと、近所の親戚や取引先が立ち寄って株談議が始まります。
子供ながらに、値段がどんどん上がっていることには気づきました。
特に、自分が好きなお菓子のメーカーや、大好きな漫画を出版している会社とか、
テレビでよくみるCMの会社とか、
身近な会社の株価が上がっていることは何となく肌で感じていました。
中学に入ると部活動が忙しくなり、夕刊の数字読み上げはなくなってしまいました。
が、ある時、出入りしている事情通が「これからは建設会社がすごい勢いで上がる!」と意気込んでいるのを聞き、
ふと「私も株を買ってみよう」と思ったわけです。
祖母も母も叔母も叔父もご近所さんも、まわりの大人がみな株を買っていたので特にスゴイことだとは感じませんでした。
皆の話をこっそり聞き、数週間夕刊を眺めてみたものの、結局銘柄を決めるほどの知識はありませんでしたので、ここは素直に事情通のおすすめの株に決めました。
ずっと貯めていたお年玉が25万円強、
母に10万円借り、祖母が3万円お小遣いをくれて、
鉄道建設 380円 1000株
を買いました。
中学2年生、14歳でした。
現在のネット証券台頭後の「ほふり」と違い、当時は株券現物でしたから、自分の名前が記載された株券がかなり誇らしく、うれしかったですね。
写真、とっておけばよかったワ。
☆ その後
数年たったころ、もう自分の中では十分に値上がりしたので、鉄建を全株売りました。
鉄道建設 1440円 1000株
38万円が、144万円になった計算です。
ほぼ100万円儲かりました。
その後、今度は時代はバイオテクノロジーだ!ということで明治製菓を880円で1000株購入。
これも1-2年位でそこそこあがり、
長期保有ながらもこんな事を繰り返しているうちに200万円近くの資産にすることができました。
大学生の時に全株売却してもらい、母に預金通帳を管理してもらっていました。
数年後、働いてためた貯金と、この株式投資利益を合わせて私は渡仏することになるのです。
そして、今の本業のベースとなる知識を現地で勉強できました。
たいへん有意義に使えた、まさに「生き金」でした。
龍神様、ありがとうございます<(_ _)>
ちなみに、帰国後にインターネットでデイトレができる状態になったころ再び株式投資を再開し、現在の会社の資本金の半分は株の純利益を使いました。
当時儲けさせて頂いたのはソフトバンクとブイ・テクノロジーです。
孫さん、ありがとうございます<(_ _)>
そして、リーマン、311と多くの方と同じように大変な金額をやられまして、苦い思いをしました。
アベノミクスで少しだけ挽回させてもらい、今は別の投資がメインになっています。
☆ 時代は変わった
振り返ってみると、バブルというのはつくづく良い時代だったんだな、と思います。
私が成人するころには、バブルはすでにはじけており社会人としては大変苦労しましたが、
このように株式投資で恩恵は受けています。
今の若い方は、生まれた時から不況の中で閉塞感しかしらず、何だか気の毒な気がします。
その一方で、私が子供のころには考えられなかったようなスマホやインターネット、IT, AIの技術が進歩しており、今の若者は我々とは違う種類のチャンスを手にしています。
私は携帯電話とE-mail、ネット、ウェブサイト、クラウド化の真の利点を理解した時に「勝った! これで私の夢は全部かなう!」と狂喜しました。
貿易でネックになっていた時差や通信、海外との移動の問題がみるみる解消されていき、それに比例して私の仕事のパフォーマンスがあがっていくのを体感した2000年代は本当に常にワクワクしていました。
今、厳しい時代だとは思うのですよ。
でもね、
好きなアーティストのチケットを買うのに徹夜して並ぶしか手段がなかった1980年代の高校生や、
大好きな彼女と話をするために10円玉を大量に両替して公衆電話で夜の寒さに震えながら電話してた1970年代の男子大学生なんかからみれば、
スマホ1台でこれだけ広い世界とつながれる21世紀って、やっぱりすごいんですよ。
与えられた条件のありがたみがわかると使い方も違ってくるのかもしれません。
今、この瞬間も、遠い未来では「古き良き時代」と呼ばれるはずです。
そんな時代の恩恵を、遠慮なく享受しましょう。
21世紀の私たち、けっこう頑張っているし、大丈夫だと思うのです。
文句も悲観もやめて、30年前の人たちに自慢するつもりで、今の時代のいいところを喜びましょう。
若い弟妹達も、私と同年代の方も、ちょこっと年上の兄上姉上も、
今この時代のつらい部分を嘆くのをやめて、
20年前には予想もできなかったすばらしい利器(スマホ、ネット、IoT、AI)を手にした幸運を喜び、
これからさらに可能になる事を想像して、ワクワクしてみませんか?
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